読書

読書について、立花隆

先日6月25日、ノンフィクション作家の立花隆さんが亡くなっていた事が報道された。今朝の新聞各紙は立花さんの功績や人柄などを大きく報じていた。活字を読む人にとって大きな存在だったことを改めて知った。影響を受けたという声が少なくないが、私もその一人で、それについて思い起こしたい。

私が読書をするようになったのは、大学生になってからで、それまで読書などほとんどしてこなかった。何を読んでいいのか分からなかったのでまずは文学作品から手にした。自分でお金を払わないと真剣に読まないだろうと思い文庫本の知っている作家から買って、読み始めた。夏目漱石、芥川龍之介など。最初にはまったのは太宰治。コナンドイルも全部揃えたりした。ドストエフスキー、トルストイなども読むようになって読書力も少しはついていたはずだ。なお、そんなまじめな本訴読む人は周りにはいなかった。

私の読書は楽しむためというより自分が成長するために本を読んでいるという意識だった。いろいろな文学作品を読んでいても何となく物足りなくなっていた。そんなころ「その年のベストセラー」といった感じのパンフレットに立花隆さんの「ぼくはこんな本を読んできた」が目に留まった。書店に行くとあったので中身も見ずにすぐ買った。ちなににそれまで文庫本しか買ったことがなかったので初めて買ったハードカバーの本だ。

読んでみると思っていたような本とは違った。実は立花隆なんて名前も知らなかった。こんな本を出すくらいだから、世間では偉いと言われている人で、その人が本を紹介しているんだろうと思っていた。当時若くもあり、そんな風の本など気に食わないはずなのに、内容を確認もせずに購入した小さな偶然にずっと感謝している。

この「僕はこんな本を読んできた」立花さんの読書にまつわる話を集めて最後の方に私の読書日記という項があるという構成になっている。読書日記に掲載されている本は読書初心者の私には手が出ないものばかりでその後の読書の参考にはならなかった。それでも今まで意識していなかった本の世界を垣間見ることができた。

それからは立花隆さんの本を読むようになり、ほぼ全作品を読むようになり、ノンフィクション作品を読むようになり、読書といえばノンフィクションとなった。私の思考回路の多くは立花さんの影響といってもいいかもしれないし、若いころに読書をしておいてよかったと本当に思うけどまた立花隆とその本についてはまた詳しく語ってみたい。

一番好きだった作家が亡くなったのは寂しい。月並みだが一つの時代が終わった感がある。立花隆に傾倒したがそれによって人生が変わったとまでは言えないのが悲しいところだが、それは自分にとっての課題だ。

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