批判と批判精神について語りたい。最近ではメディアは政権批判をしている感もあるが実際はどうなのか。ここ最近、今でも多くのマスコミは権力者や大企業などに批判が向かないように、そして国民が批判精神を持たないように誘導している。オリンピックなどのイベントに夢中にさせて世の問題に関心が向かないように、何も知らないままでいさせようとする。しかし、あまりにも生活への不満が大きすぎて批判せざるを得ない現状となったようだ。
政府は政権奪取後、長い時間をかけて国民から批判精神をなくそうと努めてきた。政治討論番組が無くなったり、批判的な番組の影響力のある司会者を交代させたり、番組の時間を移動させたり、ワイドショーの司会者がお笑いタレントになっていたり。これらはテレビ局が自主的にやったのかはわからないが、わたしは権力者側が直接要求したに違いないと思っている。そしてネット上では批判する人を批判することによって、批判者が面倒を忌む状況に追い込み、結果批判者が減るようと努めてきた。
それらの批判者批判は功を奏し、何か問題が起きても倒れされない安定した政権が出来上がった。しかし歴史の教訓が示すように長い権力は腐敗する。今回も例外ではなかった。長い間批判されない、されても聞かない、自らも反省しないこの日本の政治は日本をこんなにダメな国にしてしまった。
だから国民は批判精神を持ち、権力者は批判を甘んじて受けるべきだとの当たり前な結論となるのだが、ここから私の考えてることに進みたい。
誰だって批判されるのは嫌だ。たとえその批判が当たっていて自分が悪いと自覚していても批判されると気分が悪くなり、批判者に対し不快感を覚える。批判されなくても自分で直すつもりだったと思ったりもする。批判されなくても指摘してくれるだけでいいのにと思ったりもする。そう理想は批判精神を持ち自分で気づき正すことだけど、実際は鈍感だったり自分に甘かったりして外からの批判がないと直そうとしない。
また批判するのも嫌なことだ。実際の社会生活の中で批判や注意できないだろうし、立場上しなくては行けなくても上手く批判するのは難しい。相手と喧嘩するつもりならば良いかもしれないが、そういう場合相手は感情的になり批判を聞かないだろう。
反省して改善しようと思うのは、それに自分で気づいた時だ。実際は外からの指摘で知るときでも、自分で気づいたかのようになることが大事だ。実際に世の中を良くしたいのならば批判者側に必要なのは相手の痛いと思うところを攻撃することではなく、相手に気付かせることではないか。そして自らは批判精神を常に持ち批判されなくても気づき改善しようとする前向きな心構えではないか。お互いが批判精神を持てば批判などしなくても済む。批判よりも批判精神が大事だと思う。